厭世日誌

だなはのいせんじはみしなかみしるく

秋は燈籠

秋を感じる事も少ないままに、もう今年も残す所一ヶ月と少し、私は今年、何をしていただろうかと、歪んだノウミソで考えてみるも、何も思いつかなかった。

これまで毎年、夏には写真や作品の展示、或いは小旅行をしていたけれど、それもしていない。多分に、薬を飲んで、どうにかこうにか家と駅前を往復、休日には池や海で少しの釣りをしていた、たったそれだけの一年だった。たったそれだけの、虚しい一年だった。いつの間にか冬から春に、春から夏に、夏から秋に、そして秋から冬になっていた。

印象的だった出来事と言えば、昨年末に音信不通になった友人と連絡が取れて安否の確認が出来た事と、それとーーいや、それくらいだ。

何も思いつかない。私はただ日々を消費していただけだ。

二年前に音楽活動を辞めてからというものの、発信する事が億劫になり、閉じこもり気味な日々を送っている。写真の展示すらも、去年の夏以降はしていないし、閉じこもると同時に仕事も辞めてしまった為に、ただただ貯金を蕩尽して生きていた。気づいた時には、もう貯金も半分程になっていて、どうにか職を探して今に至る。所謂ニートから脱却した程度の事しか去年と比べて変わった事などない。寧ろ、去年の方がまだ精力的に創作活動をしていた分、幾らか「マシ」だった様な気さえしてしまう。

「そういう時間も必要でしょう」と声をかけてくれる優しい人もいる、然し、そういう問題じゃない。そういう問題じゃない、と一蹴するのも何だか申し訳ないけれど、兎に角そういう問題ではない。私は、日々が虚しい。

こんな事をブログに書いたところで何も変わらない、ただの愚痴に過ぎない事は判っている。それでも虚しい物は虚しい。少なくとも私にとってはどうしようもなく虚しく、詮方ない。

こうしている間にも時間は流れていくし、きっと来年も同じような事を宣うのだろうな、私は。救いようが無いな。あと何日だろう。

突き刺さるような何かが欲しいと思うのは甘えだろうか。