厭世日誌

だなはのいせんじはみしなかみしるく

High and Dry

どうしようもない日々が続いている。朝起きる、電車に乗る、仕事へ行く、電車に乗る、帰宅する、夕飯を作り、入浴をし、眠る。ただそれだけの日々で苦しいことはひとつもない。上司は皆穏やかで、人の悪口など一切言わないような人たちだし、仕事の内容もやや単調ではあるが、楽しい。苦しいことはひとつもない。ベタナミンを飲んで、豆を挽き、珈琲をいれ、急足で駅に向かう。朝、通勤ラッシュ後の電車の中から見える中川、陽光が反射して魚鱗を思わせる光を放つ中川、それを見ると、どうしようもなく涙が出てくる。飼い主に連れられ昼の散歩をしている犬、屋根の上で丸くなる猫。流れる車窓から見える景色。私の知らない命が持つ時間が確かに偏在していることを目の当たりにする。職場へ向う途中、大量のアルミ缶を載せた、台車なのだろうか、猫車を大きくしたような車輪が付いた何かを引く老年の男性と、ファミリーマートの前で蹲り動かない中年の男性を見かける。彼らの人生と私の人生が交差することはないだろう。否、彼らについて想っている時点で交差までは行かずとも、関わりはできてしまっているのかもしれない。例え彼らが私を認識していないとしても。職場の引き戸を開け、挨拶をする。他愛のない会話をしながらその日の仕事をこなしていく。昼は節約のため弁当を持参しているが、ここ数週間はどうにも食欲がなく、無理矢理にお茶で胃に押し込む。流しの前で文庫本を片手に歯を磨く。休憩時間が終わるまで、束の間の読書時間。寝ても寝ても昼は眠く、突発性過眠がひどいのでベタナミンリタリンを飲んでどうにかやり過ごす。帰りの電車、疲れた顔をしたサラリーマンに挟まれ身体の横幅を限界まで小さくして座席に座っていると、また、どうしようもなく涙が出てくる。苦しいことは、ひとつもない。マスクの着用が必須の世の中でよかった。歪んだ口元を見られないから。少し俯いて本を読むふりをしていれば、誰にもバレずに最寄りの駅までやり過ごせる。帰宅したらあとは料理をして、入浴して、読書をして眠るだけ。ベタナミンが切れて脳疲労、頭が熱くなる。身体もまともに動かない。それでも、人間らしい生活をしたい私は、どうにか湯を沸かして入浴し、夕飯を作る。入浴中はどうしても涙が止まらず、シャワーを頭からかけ流しながら泣いていることが殆どだ。レキソタンを飲めば多少は楽になるけれど、あれは感情が平坦になる、というか、感情が均されてしまう。それでも飲まないよりは幾分マシなので飲む。薬が効いてくる。旦那が帰宅するのは夜中だから、それまでは読書をして待っている。(帰りの遅い彼の分の夕食にはラップを掛けて置いておく。)彼が帰宅をしたら、お帰りなさいとおやすみなさいを言って、自分の部屋で眠る。何も辛いことなんてないでしょう?本当に、ひとつも辛いことなんてない。苦しいことなんて、何もない。甘えるなよ、と思う。それでもどうしても毎日、毎日毎日、死ぬことばかりを考えてしまう。絶対に死にたくないのに。私には読みたい本も、撮りたいものも、聴きたいものも行きたいところもたくさんある。ただでさえ短い人生をわざわざ早く終わらせるだなんて、そんな、そんな(洸介、助けて)そんなこと出来るわけがない。ただ、日々危うさは感じている。「そう」ならないように、気を張っているせいか身体にまでダメージが出てきた。舌の痛みと手足の発疹が酷い。ひとつ、苦しいとすれば、そうだ、そういえばそうだ、創作。創作が苦しいのかもしれない。私にはやっぱりポップなものを作ることはできない。いつも正解が分からず怯えてしまう。私が撮りたいのは死であって、ポップカルチャーのそれではないのだと。その二つは対極なのだと。折り合いをつけていかなければいけないのかもしれない。洸介、助けて。助けてなんて言えないよね。助けられなかったくせに何言ってんだよ、助けるってなんだよ烏滸がましいな、ばか、もう10年だなんて、信じられるわけがない。私、もう29歳になるんだよ。死人に引っ張られているとは思わない。ずっと背中を追いかけている。私は何が苦しいのだろう。「球体関節人形だって」「あ、俺この人形知ってる。10年くらい前に、待ち受けにしてた」「呼ばれてるね」そんな会話を夕方、旦那としていた。”呼ばれている”時ってあるよね、本でもなんでも。あれはなんなんだろう。ああ、というか、また支離滅裂になってきたな。このブログはいつも支離滅裂になって終わる。そういう決まりなのかもしれない。ルール?くそくらえだよ。どうしてみんな、人に迷惑をかけて、普通の顔して生きていけるのだろう。私は押し潰されて、もう、冷蔵庫の隙間にだって入れそう。あなたが死んだら悲しい。生き延びてほしい。無責任な願いなのはわかってる。闘病が辛いのも、私なんかに想像できないくらい辛いのも。けれど、もう一度会えて、一緒に歩けたら、歩けなくても、また他愛の無い話で笑えたらどんなに素敵だろう。私はあなたのことが好き。未だに洸介、洸介ってずっと夢見てるんだ。お墓を探して、沼に沈んで、どうして私を置いていったの。取るに足らなかったの。そうだよね。私は多分、洸介を忘れることはないと思う。「天使ごっこ、しよう」代々木公園。大きな木のした。天使ごっこ、って何、と聞くと、「俺もわかんない」と笑ったのを覚えている。カラオケでゆらゆら帝国のラメのパンタロンを歌っていたことや、レディオヘッドのHigh and Dryを私が歌ったら、ファルセットが綺麗だねと言ってくれたのはお世辞でも嬉しかった。ああ、どうして日々はこんなにも悲しいのだろう。悲しいことも、辛いことも、苦しいこともひとつもないのに。どうして泣いている人一人救えないのだろう。こんな、しょうもない私、消えちまえよな。消えたら数人くらいは悲しむだろうか。思い上がり?そうかな。そうだね。小説が書ければよかった。幸せなやつ。物語の中だけでも幸せになりたかった。誰かを幸せにしたかった。おやすみなさい。みんな、いい夢見てね。